T.願興寺の草創


 願興寺は、本尊に薬師如来を安置し、その薬師如来を中心とした仏教世界を構成する眷属(けんぞく)が、一体も欠けることなく現在に残っている、美濃地域はもとより全国に誇れる天台宗の名刹である。可児薬師、蟹薬師、可児大寺と呼ばれ、古来より本尊薬師如来のご利益にすがる人々の信仰を集めている。

 寺伝によると、弘仁6年(815)に天台宗の開祖伝教大師(最澄)が東国布教のため、この地に錫(しゃく)を留められ、布施屋(ふせや)を造り、自生していた桜の枯木で薬師如来を彫刻安置し、仏の教えを説き、人々を救済したことが願興寺のはじめとされています。

 しかし、考古学的な知見で願興寺境内から出土する古代瓦、ことに鐙瓦(あぶみがわら「軒丸瓦」ともいう)から見るに、既に草庵的布施屋が建立されていたとされる時期よりおよそ100年以上その歴史は遡(さかのぼ)り、草庵ではなく伽藍(がらん)が整備されていたことが判明されています。
                                                                 Next 続き


鐙瓦(軒丸瓦)

願興寺廃寺(想像図)

願興寺縁起 T.願興寺の草創 トップページに戻る 重文紹介
U.一条天皇の勅願寺誕生
V.兵火による焼失と再興
W.民衆による再興